讃岐うどんの起源とは!?

讃岐うどんは単なるご当地ブランドではなく、讃岐に住まう人の歴史と共にあると言っても過言ではありません。
讃岐うどんは古くから讃岐の土地の人に愛され「うどん県」と称されるまで、全国的認知力もトップクラスです。
そんな讃岐うどんの起源を一緒に探ってみましょう。

香川県内でも諸説あり?起源は「弘法大師説」と「団子汁説」が有力

由緒あるものに諸説はつきものですが、讃岐うどんも例外ではありません。讃岐うどんのルーツを探ろうとする時、必ず出てくる説が「弘法大師説」と「団子汁説」です。

讃岐うどんは弘法大師が唐から持ち込んだ「混沌」がルーツ説

讃岐イチの有名人と言っても過言でないのが、弘法大師こと空海です。
この空海が、唐よりうどんとルーツを持ち帰ったという説があります。
当時、遣唐使として唐へ赴き、使命を果たして日本へ帰ってきた空海は、唐の西安で皆が食べているという「混沌(こんとん)」という、練った小麦粉をゆでて食べる食文化を琴平町に伝授したとの事です。
混沌(コントン)が検飩(ケントン)になり、温めて食べることから温飩(オントン)といつくかの名前に転じ、最終的に「饂飩(うんとん)」からいまの「うどん」へとなったそうです。
西安は麺文化が発達している町ですので、混沌に感銘した空海が遣唐使としての成果と一緒に持ち帰った気持ちも理解できる気がします。

讃岐うどんは「団子汁」が麺状になって生まれた説

まずは日本の粉食文化について触れておく必要があります。
米食がメインとされている日本ですが、古事記や万葉集にも「麦」の文字が確認できる点や、平安時代の書物などで「小麦」や「小麦粉加工食」が登場している点からすると、米食の裏で麦食文化も存在していました。
室町時代に入り、石臼が庶民の間で広まると、小麦粉を練ってつくる「団子」が庶民の間に瞬く間に広まり、米以外で満腹感を得られる「団子汁」という形で各地に根付いたようです。讃岐も例外ではなく粉食文化とともに団子汁が浸透しましたが、どこの土地よりもいち早く「麺状」へと変化をし、今でいう「うどん」へと進化を遂げました。

これを裏付けるように、金毘羅宮の表書院に残されている「紙本着色金毘羅祭礼図」という屏風画にも「うどん屋」の姿が確認できており、全国でも先駆けて「うどん」文化が根付いていたと考えられています。

どちらの説でも讃岐にはうどんが定着した

空海説も団子汁説もどちらも「なるほど」と納得のいくものです。
ではなぜこれほどまでに「讃岐うどん」が定着したのでしょうか?
そこには讃岐の土地柄に秘密があります。
もともと、干ばつの多い讃岐では水田での米作が不安定で、米が贅沢品とされていました。雨が少なくても育つ小麦は、讃岐の人にとって命の綱であり、うどんは米の代用品でなく立派な主食の地位となるべく、手打ちの技術を研鑽し、現在のうどん食文化に発展しました。
それゆえに、讃岐の人のうどんに対する思いは並々ならぬものであり、その思いは日本全国はもちろん、海を越えて海外にまで確実に届いているのです。